目次
背景・目的
自動運転における「トロッコ問題」について書かれた以下の記事を読みました。いろんな考え方があるなと思いつつ、自分ならこうするかなと感じた事があるので書き留めておくことにします。
「トロッコ問題」とは?
倫理学の有名な思考実験に「トロッコ問題」があります。「ある人を助けるために他の人を犠牲にする事は許されるのか?」というもので、これを自動運転に関する問題に置き換えると、「急に5人の人間が車の走路上に飛び出してきてブレーキがもう間に合わない場合、それを車は歩道側に進路を変えて避けようとするが、そうすると歩行者をひき殺してしまう」ということになり、多くの議論がなされています。
判断を下すべきは誰か?
上記の記事によると、「判断を下すのはAIでもエンジニアでもなく、社会である」という意見があるそうですが、実際に自動運転システムの開発をしている僕としては、「判断を下すのはやはり開発するエンジニアだろう」と思っています。
これは障害物検知で目の前に何か物体を認識した時に、その大きさによっては避けたり止まったりする必要はないと考えるかもしれないし、念のため止まっておこうと考えるかもしれない、という問題にも似ていて、僕たちエンジニアは沢山の議論とテストを重ねた上でそれを決めて実装します。
そして開発したシステムが世に出ればいろんな人達に使われる訳ですが、そこでまたいろんな意見がお客さんから届きます。出来れば全ての意見を満足したシステムにしたいですが実際は困難なので、衝突回避するかしないかの基準設定をユーザーがある程度調整できるといったバックアップをできるだけ仕込んでおく。そしてそういった判断基準の決め方について何らかの説明を求められた時には、ちゃんと論理的にはっきりと回答できるようにしておくことが大事だと思います。
ぶつかっても大丈夫な車ってあり?
自動運転における問題なので、世の中の人達は如何にして車に判断させるかという部分に注目していますが、もっと材料技術の研究にも力を入れて万が一ぶつかってしまったとしても周囲への被害を最小限に抑えることができる車のボディを作るっていう選択肢もあるんじゃないかと思います。
当たっても痛くない、吹っ飛ばされることもない、同時に搭乗者の安全も確保する、なんていう車が生まれたらそれはすごいインパクトがあることではないでしょうか。